緑のすみか

滅び方のデザイン
「終活」という言葉を最近耳にする。
辞書によれば、“人生の終焉をより良く迎えるための活動のこと。” だそうだが、かつて栄えたまちにもそれがあっていいのではないだろうか。
集落や街が人口減少の末に消滅していくのは、人間の営為として はむしろ自然な現象なのかもしれない。
そう仮定して、無理にその流れを止めずに、優しく看取ってみたい。
その際、 荒廃して衰退させるのではなく、ひとつずつていねいに、棺桶に花が満たされるように、美しく滅びてほしい。

過疎地の空き家問題
老朽化が進んだ空き家は再利用が困難なものも多い。
なおかつ、市街から遠く離れた過疎地では、その土地自体の経済的価値も乏しいため、仮に一時的な改修や解体・建替等をしても、持続的な再生可能性は限りなく低いと言える。
放置された空き家は、所有者が遠方に住んでいる場合その管理も充分ではなく、またそもそも所有者不明の空き家も少なくない。
そのまま朽ちるしかないように思える、そんな空き家を「緑のすみか」へと転換を図る。 人ではなく、緑が住むところに変えていく。

遺跡化
空き家は躯体を残して解体され、躯体の内側に緑が植えられる。
古びた柱は場所の記憶として辛うじて立つ。
子供の頃この家で暮らしたなあ、というふうに思える程度には原型をとどめて、
そうやって最終的には、むかしまちだった場所が、長い年月をかけて「緑のすみか」の群れに変わっていく。
「緑のすみか」群は大きな公園として、そしてまた、その場所で生活が営まれていた記憶を残す「遺跡」として、そこに存在する。